San
Francisco
には多くのホームレスがいて路上で物乞いをしている。日本ではホームレスは物乞いをしないが、ここの人たちは通る人に金をねだる。最初、アメリカには生活保護の制度がないのかと思ったが、Bill
ClintonのMy
Lifeを読むとwelfareについてある女性に議会で証言をしてもらったという件があるので、アメリカでも公的な補助の制度はあるようである。ときどき街で食事を配布していて、それをもらうための行列を見かけることもある。多くの人が街中で物乞いをしているのを見ると、なんとかすべきではないかと思う。誰でもそう感じると思う。
北欧からの留学生の一人がこの状況をどう思う、自分の国にはこんな人達はいない、としきりに言う。彼が不愉快に思う気持ちはよくわかるが、それと同時に文句を言うばかりというのもなんとなくおもしろくない。自分に対しても、他人にたいしても。
そんな気分でいたら、UC
Hastingsの学生会からvolunteer
募集のメールが来た。あなたの3時間をFood
Bankに寄付しよう、という内容だった。Food
Bankというのが何かは知らなかったが、学校の前で集合して行くのなら怖くないし、ぶつぶつ文句を言っているよりはるかに前向きだ。
定員が一杯にならないうちに、とすぐに参加の返事をだした。
当日授業が終わってから20名くらいが学校の前で集まって出発した。LL.M.から参加したのは私とChinaのIreneだった。着いてみるとおおきな倉庫のような場所で、Safewayや個人から寄付された缶詰等の食料品が山積みになっていた。賞味期限切れの保存食料品だ。私たちのほかに個人で参加しているvolunteerの人たちが大勢集まっている。まず全員で食料品を内容ごとに分類する。運動会の何かの競技みたいに小走りに食料品の山に向かって持てるだけの食料品を持って仕分けの箱に入れに行く。重かったり、箱が大きくて中まで手が届かなかったりするので周囲の人たちと協力してどんどん仕分けていく。大きな山がきれいに分類されてしまうと今度は隣の部屋で寄付されたbrown
riceを決められた量に小分けした密封する。正確に量るように指示される。数名で一組になって作業するが、同じ作業ばかりするとあきてくるので途中で役割と交代するようにとのことである。密封なんかの作業より袋にriceを入れて量るのが一番楽しいのでこればっかりやりたいなあ。人によって得意不得意があるから、私に量らせてくれるのが一番早くて正確なのに。Brown
riceを小分けしながら、これを受け取る人の顔を想像する。正確に図ろう。少なくてがっかり、なんてさせたくないし、他人の受け取ったパックと比べて不公平だなんて思うと幸せな気分に影がさしてしまうだろう。とはいえ同じ作業をしているとあきるから途中で交代しながら作業を進める。その日初めて会った人たちと意思疎通しながら、他の組と早さと競うようにどんどんパックを作っていく。ついにriceの袋が空になりその日の作業終了。その日全員で片付けた食料の量がFood
Bankの職員から告げられると歓声があがる。
日本の食料廃棄量は他の先進国に比べて多いということを聞いたことがある。日本にもFood
Bankのような団体があって、スーパーが寄付できたらいいのにと思ったが、賞味期限切れの食料品の配布となると保健所から指導がはいりそうな気もする。人権団体からも抗議がきそうな気がする。
意気揚々と引き上げた後、私はときどき友人たちにvolunteerに行ってきたよと自慢した。たった3時間だけど、アメリカでアメリカ人のために日本人の私がvolunteerをした、というのにちょっと優越感とかなりの自己満足を感じた。
0 件のコメント:
コメントを投稿