試験の翌日、どこか閑散とした帝都(The
Capital City of the Empire State)でのんびり過ごし、Washington
DC 経由で深夜San
FranciscoにMayと二人で帰った。その週末にはMayと
Wendyは慌ただしく帰国した。中国の司法試験の願書受付に間に合うかどうか、間に合えば数カ月後のChinese
Bar Examinationを受験すると言っていた。Mayとは1月のswearing
in ceremony でAlbanyで会おうと約束をした。
その後まもなくStephanも帰国し、Yang
Yang, SherryもSan
Franciscoを離れた。San
Franciscoは寂しい街となった。
Bar
Examinationが終わると猶予されていた寮の明け渡しをしなければならない。私は寮から1キロほど離れたAlamo
Square近くの
Victorian
Houseに部屋を借りた。
2010年San
Franciscoの8月は霧に包まれ冷たい雨が降っていた。あまりに寒いしすることもなかったので太陽を求めてGrand
Canyon に行くことにした。合格発表は11月。それまでしばらくBarのことは忘れていられると思っていた。
Las
Vegasをベースにして、一週間ほどColorado
riverでのraftingやGrand
Canyonを散歩したり、Las
Vegasを観光したりしてSan
Franciscoに戻った。
San
Franciscoに戻り、一人でWestfield
の地下で昼食をとりながら、何の気なしにメールのチェックをすると、New
Yorkからメールが届いていて、何かを提出しろと書いてある。が添付ファイルをがうまく開かない。受験手続き書類に不備があったというのであればどうしよう、と不安になり、UC
HastingsのLibraryのcomputer
labに急いだ。
Labでメールの内容と添付ファイルを読んで唖然とした。
1月の宣誓式に出席できる数には制限があり、登録書類の先着順で出席者を決めるので、登録書類の準備を始めるように、との指示だった。しかも要求されている書類のほとんどはaffidavit。今までの法律関係の職場の上司affidavits、2年以上のつきあいのある法律家2
名のaffidavits。どう考えても日本の弁護士に作成を依頼しなければならない。しかし日本でどうやってアメリカのaffidavitを作成できるのだろう?
Photo; Desert tea I bought at a souvenir shop in the Grand Canyon, At the kitchen of the Victorian House
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